今日、鬼滅の刃の映画を観てきました。映像の迫力とストーリー構成が素晴らしかったです。ぜんいつが三途の川をさまようシーンで、じいちゃんが涙しながら『お前はわしの誇りじゃ』と言ったところで、私も泣きました。
さて、前置きが長くなりましたが、個人的にこれは投資に直結するかもと思う場面がありましたので、紹介します。
・ぜんいつがかいらくのことを、箱に穴が空いて幸せが抜け落ちて満たされないと言ったシーン。これはまさに自分も同じだと思った。足るべきものは足りているのにさらに欲を出して追いかけて、それが手に入らなければ満たされないと憂いてる。大事なのは今あるものに感謝すること。それから目標に向かってひたむきに頑張ることだ。求めすぎはよくない。
・猗窩座の回想シーン。はくじがこゆきを看病している際に、こゆきから『遊びたいだろうにごめんなさい』と言われた際に『遊びたいとは思わない』と発言し、黙々と看病と鍛錬を続けた彼の姿は見習いたい。これは投資に限らないが、目標に向けて欲望を捨てて、弱音を吐かずやるべき仕事をすることは、人を強くすると思う。私は投資が上手くなりたい。ただ仕事も続ける必要がある。それなのに、いつも仕事の弱音ばかり吐いて、投資も失敗しており、全く成長がみられない。こうした状況を変えるためには、はくじのように弱音を吐かず淡々と努力するしかないのだと思う。仕事をきちんとやりながら、合間合間をぬって投資の勉強に励む。たまにはサボったりという甘い考えは捨て、目指したい道に向かって極めるのだ。
・炭治郎の透き通る世界を会得した場面。これこそまさに私が探し求めていた答えだった。投資はお金を稼ぎたいという欲望が強くなり結局負ける。ただ、勝てる投資家は退屈なトレードが大事だとか、安いものを買うのが大事だとか、テクニカルが大事なんだとか色々言うが、いずれにしてもお金を稼ぎたいという欲は消えないのではないか、それなのになぜ勝てているのか疑問だった。欲を出さずに投資をすることなんで果たしてできるのだろうかと考えていた中で、この場面をみて、これだ!と気づいた。ヒントは、炭治郎が父親に連れられて熊の撃退を見た場面にあった。これは炭治郎への見取り稽古となったが、父は熊を殺したいという殺気を出さないまま一瞬で熊の首を切った。一分の無駄な動きもなく瞬時に仕留めたのだ。炭治郎もこれを思い出し猗窩座戦で覚醒。猗窩座の致命的な一撃を避けることに集中して避けたり、首を切ることに集中して切ったりと、殺気を出さずに自分の動作に集中することで、無我の境地に達したのだ。これを投資に置き換えると、自分の手法に集中することだけを意識することかと思う。要はお金を稼ぎたいとチャートばかり見て材料による動きに飛び乗って勝った負けたと一喜一憂するのではなく、自分の決めたルールを淡々と実行することが大事。そうすればお金を稼ぎたいという欲は一切出てこないと思う。あとは、手法とルールを確立するだけだ。そのためには、前述のようにひたすら鍛錬を繰り返すのみ。
ずっと考えていたモヤモヤや悩みは、あるひょっとしたことで解消されるものだなぁと改めて感じました。鬼滅の次作が待ち遠しいです!
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